+ 実 +



 朝。
 来るはずもない朝。
 暖かな光をどこからか感じて、僕は目覚めた。

「おはよう」

 軽やかな声。
 なんだろう、と声がするほうを見た。

「寝れたみたいね。よかったわ」

 小屋の真中にあるこじんまりとした机に、料理が並べられていた。

「お腹すいたでしょ。あんまりいいものないけどね」

 小皿を持っている彼女と目が合う。

「僕は……一体……」

「まぁまぁ。これでもお食べ」

 どこかの魔女のようなことを言い、僕の側に寄る。

「あーん」

 遊ぶように、僕を誘う。
 僕もつられて口をかすかにあけた。
 その途端、隠れていた彼女の手から何かが口にすべり落ちる。

「すっぱ甘い」

 にこっと彼女が笑う。

「野いちごよ」

 にこにこと笑う彼女を、僕はもっと見ていたくなった。
 でも、それ以上に何故かあまえたくなった。

「僕の口には合わないかも」

 彼女はコン、と僕の頭をこづく。

「僕は、もっと大きくて甘いいちごを食べてるよ」

 なぜか嬉しくなって、もっと文句を言いたくなった。
 何もかも許されるような優しい空気がそこにあった。

「それは嬉しいことなのかな?」

 彼女は優しく微笑みながら、よく分からない質問を投げてきた。

「嬉しい?」

 オウム返しに聞き返してみる。

「私は、いちごの1つの味よりも、2つの味を知っていたほうが幸せよ」

「……」

 言い負かされた、という敗北感が僕を襲う。
 なんだか面白くない気分になった。

「あなたは、たった今いちごの2つの味を知ったのよ。他のものも食べてみないかしら?」

「ん」

 少し拗ねつつ、テーブルに進む。
 パセリ入りスープにスクランブルエッグ。いもバター焼き。
 僕はかすかに聞こえるような小さな声で『いただきます』と言い、食べ始めた。

「ハーブ入りの洋梨パイ、僕好きなんだ」

 食べながら、またわがままを言ってみる。
 上目遣いで彼女を見上げた。
 彼女は、スープを飲んでいるところだった。

「ここでは、食べられないの?」

 彼女の反応が知りたくて、もっとわがままを言ってみる。
 そろそろ怒るかな、と内心びくびくしながら。
 僕は変な期待をもって、彼女の顔を見つめた。

「いつもと違う物を食べられる幸せ、かみしめてみたら?」

 彼女はスープを飲み終えると、野いちごを頬張りながらさっきと同じことを言った。

 さっき僕はその言葉で拗ねたのに、分かってくれなかったのかな。
 なんだか、誤魔化されているような気がする。

 僕はまた面白くない気分になった。

 わがまま言うのはもうやめよう。
 それよりは、彼女についてもっと知りたい。

「こんなところで、なぜ暮らしているの?」

「なぜだと思う?」

 質問に対して、質問で返ってくる。何だかまどろっこしい。

「悪いことして、追われてるの?」

「そうよって言ったら?」

「絶対嘘だよ。早く教えてよ」

 くすくすと彼女が笑う。僕が腹立っているのを面白がっているように見える。

「もういいよっ」

「魔法を使えるからよ」

「え?」

 僕は驚いて、彼女を見つめた。
 もし魔法を使えるなら、もっと町で贅沢三昧できるはずだ。
 今は魔法を使える人が少なくなってきて、あちこちで求められている。

「じゃぁ、なぜこんなところにいるの?」

 彼女はまた、くすくすと笑った。

「魔法が使えるからよ」

 もう一度繰り返す。

 僕は何だかムカムカした。

「だったら、大地主のご子息の家庭教師でもやればいいじゃないか。稼ぎ放題だよ」

「あまり、関わりたくないのよ。俗世には」

「なぜ?」

「強い力を見せられると、人は恐れるわ。信じたくないのね。自分より強い者がいるという現実を」

「そんなに強いの?」

 挑戦するように聞く。

「さぁ。最近は森にこもりがちだから」

 僕は改めて彼女を見つめた。
 黒い艶やかな髪に、漆黒の瞳。
 それは、魔術師のものにも確かに見える。
 でも、彼女の笑みを絶やすことのない柔らかな雰囲気は、「強い」という言葉からは程遠いように感じた。

「ねぇ。何かやってみて? 魔法」

「あなたは魔法を使ってみたい? 答えてくれたら見せてあげるわ」

 また質問を返された。
 今度は見せてくれるのが条件だ。
 だから、僕は答えようと思った。

「僕は……」

 でも、僕の口からは諦めの言葉しかでてこなかった。

「僕には無理だよ」

 そろそろ、現実に返る時間だ。
 優しいまどろみの中には、もういられない。
 ひとときの安らぎは、終わろうとしている。

「僕には、使えなかった。どれだけたくさんの人に習っても使えなかった」

 彼女は寂しげな様子で僕を真剣に見ている。
 僕は、次の言葉を探した。

「僕は、魔法を使えなくてはならなかったんだ。父上も母上も先祖からずっと、代々魔法を使ってきた。だから、僕はその継承者にならなくてはならなかったのに」

 でも、僕には魔法が使えなかった。
 たくさんの人に教えてもらったのに。
 町にいる魔術師だけでなく、旅の途中の人にだって頼んだのに。

 その中の一人を、僕は殺した。

「じゃぁ、あなたは魔法が使いたいのね?」

「使えなくたっていいよ。使えなくたっていいじゃないか。最初から皆諦めていれば、あの人だって死ななかったんだ」

 優しい人だった。
 いつもの金目当てに来る魔術師とは違っていた。
 僕の力になりたいって、言ってくれた。
 僕は嬉しくなって、夕方、彼の部屋に遊びに行ったんだ。

「ただ、旅の話を聞きたかった。彼の部屋には美味しそうな黄色い果実があって。お皿にのっていたから、僕は悪戯半分にかじったんだ」

 甘い汁が口いっぱいに広がった。
 舌にとろけるような感触がして、今まで食べた果実の中で一番美味しかった。

「彼は焦って僕からそれを奪おうとした。僕が美味しいよって笑ったら、ほっとしていた」

 彼は町に来る途中、草の中に光る果実を見つけたと言っていた。
 誘われるように拾ったけれど、毒があることも考えて、この町の図書館で調べようと思っていたらしい。

「僕は、美味しいから食べてみてって、ほとんど無理やり彼に半分食べさせた」

 そして、彼は死んだ。

「僕は、苦しむ彼を置いて、逃げたんだ」

 してはならない罪を何重にも重ねて。
 それでも僕は、生きている。

「魔法で……僕を殺すことはできないの?」

 断られると分かっていて、聞いてみる。

「これ以上、逃げる気?」

 僕は、何も言えずにうつむいた。
 自分が、どうしようもなく情けなく思えた。

「あなたといると、僕は自分のことが嫌いになるよ」

「もし、これから誰を殺すこともなく魔法を使えるようになるとしたら、どうする?」

 そんなの夢物語だ。

 ため息をつく僕にはお構いなしに、続けて彼女は聞く。

「もし、私がそれを可能にできるとしたら、どうする?」

 僕は驚いて、思いきり顔を上げた。

「できるの!?」

 彼女は僕の質問に答えることなく、同じ質問を続けた。

「できたら、どうするの?」

「もちろん、魔法を使うよっ。僕が魔法を使えるようになるのが、一番いいんだ」

 息せききって答える。
 
 そんなことが本当にできるのか?

「魔法が使えたら、嬉しいの?」

 もちろん。

 そう、すぐに口に出すことは、なぜかできなかった。

「嬉しい……に、決まってるじゃないか」

 自分に言い聞かすように、答える。

「そう」

「ねぇ。ほんとにできるの? そんなこと、できるの?」

 彼女は、少しの間考えこんでいた。
 僕は何度も強く問い詰めた。
 でも、何も言ってくれなかった。

「できるんなら、なんとかしてよ!」

 彼女の肩を揺らして、何度も頼む。

「たくさんの人たちに迷惑をかけて、人まで殺して……っ。それで結局何も変わらないなんて、僕は嫌だよっ」

「それなら、約束して」

 彼女は逆に僕の肩を掴み、僕の瞳をのぞきこんだ。

「どんな約束だってするよ」

「どうか、あなたが味わった悲しい気持ちを忘れないで。人の人生を止めてしまうことが、いかに罪の重いことか。その人が関わった友人、仲間、家族、どれだけの人を苦しめるか、ずっと覚えていて」

 自分の罪を責められた気がした。

「当たり前だよ。こんな苦しい気持ち、忘れるわけないよ」

「生命の大切さ。永遠に忘れないで。ほんの些細なことで、小さな行為のせいで、大きな大きな過ちを犯す可能性があること。絶対に忘れないで。罪を犯したまま逃げて、今と同じような後悔は二度としないで」

 彼女は何度もその言葉を繰り返した。
 きっと、彼女にとって大切な意味があるのだろう。

「分かったよ。僕は、一生忘れない。一生をかけて償っていく。後で後悔するようなことは、もうしないよ」

 僕も真剣に彼女の思いに応える。

 彼女はゆっくりと頷いた。

「あなたは魔法を使えるようになるわ」

 彼女の言葉は甘美な響きをもっていた。
 僕は次の言葉を無言で待つ。

 もし、彼女の言っていることが嘘で、失敗に終わったとしても。
 僕は、彼女の伝えてくれるだろう何かを知りたかった。

「でも、その前にあなたは知っておくべきことと、やるべきことがある」

 今すぐできるというわけじゃないのか。

 少しがっかりした。
 胸の高鳴りはだんだんと静かになっていく。

「それは何?」

 微かな希望を頼りに、僕は聞く。

 彼女はスクっと立ち、僕の目の前に立った。

「あなたのいるべき場所に戻って、あなたがやるべきだと思ったことをしてきなさい」

「え……?」

 彼女の顔からはもう笑みの欠片も見られない。

 僕は、言われたことをすぐには呑み込めずにいた。

 彼女は続けて、衝撃的な事実を僕に伝えた。

「あなたは人を殺してはいないわ。戻って確かめてきなさい」

 僕はしばし呆然とした。

 この人は何を言っているのだろう。

「昨日の夜、あなたの住んでいる町に行ってきたわ」

 だから姿が見えなかったのか。

「私が今、あなたに言えることは1つよ。今は戻りなさい。そして、今度こそ逃げずに受け入れてきなさい」


 あの人は苦しんでいた。
 血も吐いていた。
 あのまま死んだと思っていた。

 でも、生きていたのか?
 死んではいなかったのか?
 僕は殺人者ではなかったのか?

「それは、ほんとうに?」

「あなたの目で事実を確かめてきなさい」

 彼女はきっと、これ以上話さないだろう。

 僕は席を立ち、その場を去った。

 


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