+ 実 +
3
朝。
来るはずもない朝。
暖かな光をどこからか感じて、僕は目覚めた。
「おはよう」
軽やかな声。
なんだろう、と声がするほうを見た。
「寝れたみたいね。よかったわ」
小屋の真中にあるこじんまりとした机に、料理が並べられていた。
「お腹すいたでしょ。あんまりいいものないけどね」
小皿を持っている彼女と目が合う。
「僕は……一体……」
「まぁまぁ。これでもお食べ」
どこかの魔女のようなことを言い、僕の側に寄る。
「あーん」
遊ぶように、僕を誘う。
僕もつられて口をかすかにあけた。
その途端、隠れていた彼女の手から何かが口にすべり落ちる。
「すっぱ甘い」
にこっと彼女が笑う。
「野いちごよ」
にこにこと笑う彼女を、僕はもっと見ていたくなった。
でも、それ以上に何故かあまえたくなった。
「僕の口には合わないかも」
彼女はコン、と僕の頭をこづく。
「僕は、もっと大きくて甘いいちごを食べてるよ」
なぜか嬉しくなって、もっと文句を言いたくなった。
何もかも許されるような優しい空気がそこにあった。
「それは嬉しいことなのかな?」
彼女は優しく微笑みながら、よく分からない質問を投げてきた。
「嬉しい?」
オウム返しに聞き返してみる。
「私は、いちごの1つの味よりも、2つの味を知っていたほうが幸せよ」
「……」
言い負かされた、という敗北感が僕を襲う。
なんだか面白くない気分になった。
「あなたは、たった今いちごの2つの味を知ったのよ。他のものも食べてみないかしら?」
「ん」
少し拗ねつつ、テーブルに進む。
パセリ入りスープにスクランブルエッグ。いもバター焼き。
僕はかすかに聞こえるような小さな声で『いただきます』と言い、食べ始めた。
「ハーブ入りの洋梨パイ、僕好きなんだ」
食べながら、またわがままを言ってみる。
上目遣いで彼女を見上げた。
彼女は、スープを飲んでいるところだった。
「ここでは、食べられないの?」
彼女の反応が知りたくて、もっとわがままを言ってみる。
そろそろ怒るかな、と内心びくびくしながら。
僕は変な期待をもって、彼女の顔を見つめた。
「いつもと違う物を食べられる幸せ、かみしめてみたら?」
彼女はスープを飲み終えると、野いちごを頬張りながらさっきと同じことを言った。
さっき僕はその言葉で拗ねたのに、分かってくれなかったのかな。
なんだか、誤魔化されているような気がする。
僕はまた面白くない気分になった。
わがまま言うのはもうやめよう。
それよりは、彼女についてもっと知りたい。
「こんなところで、なぜ暮らしているの?」
「なぜだと思う?」
質問に対して、質問で返ってくる。何だかまどろっこしい。
「悪いことして、追われてるの?」
「そうよって言ったら?」
「絶対嘘だよ。早く教えてよ」
くすくすと彼女が笑う。僕が腹立っているのを面白がっているように見える。
「もういいよっ」
「魔法を使えるからよ」
「え?」
僕は驚いて、彼女を見つめた。
もし魔法を使えるなら、もっと町で贅沢三昧できるはずだ。
今は魔法を使える人が少なくなってきて、あちこちで求められている。
「じゃぁ、なぜこんなところにいるの?」
彼女はまた、くすくすと笑った。
「魔法が使えるからよ」
もう一度繰り返す。
僕は何だかムカムカした。
「だったら、大地主のご子息の家庭教師でもやればいいじゃないか。稼ぎ放題だよ」
「あまり、関わりたくないのよ。俗世には」
「なぜ?」
「強い力を見せられると、人は恐れるわ。信じたくないのね。自分より強い者がいるという現実を」
「そんなに強いの?」
挑戦するように聞く。
「さぁ。最近は森にこもりがちだから」
僕は改めて彼女を見つめた。
黒い艶やかな髪に、漆黒の瞳。
それは、魔術師のものにも確かに見える。
でも、彼女の笑みを絶やすことのない柔らかな雰囲気は、「強い」という言葉からは程遠いように感じた。
「ねぇ。何かやってみて? 魔法」
「あなたは魔法を使ってみたい? 答えてくれたら見せてあげるわ」
また質問を返された。
今度は見せてくれるのが条件だ。
だから、僕は答えようと思った。
「僕は……」
でも、僕の口からは諦めの言葉しかでてこなかった。
「僕には無理だよ」
そろそろ、現実に返る時間だ。
優しいまどろみの中には、もういられない。
ひとときの安らぎは、終わろうとしている。
「僕には、使えなかった。どれだけたくさんの人に習っても使えなかった」
彼女は寂しげな様子で僕を真剣に見ている。
僕は、次の言葉を探した。
「僕は、魔法を使えなくてはならなかったんだ。父上も母上も先祖からずっと、代々魔法を使ってきた。だから、僕はその継承者にならなくてはならなかったのに」
でも、僕には魔法が使えなかった。
たくさんの人に教えてもらったのに。
町にいる魔術師だけでなく、旅の途中の人にだって頼んだのに。
その中の一人を、僕は殺した。
「じゃぁ、あなたは魔法が使いたいのね?」
「使えなくたっていいよ。使えなくたっていいじゃないか。最初から皆諦めていれば、あの人だって死ななかったんだ」
優しい人だった。
いつもの金目当てに来る魔術師とは違っていた。
僕の力になりたいって、言ってくれた。
僕は嬉しくなって、夕方、彼の部屋に遊びに行ったんだ。
「ただ、旅の話を聞きたかった。彼の部屋には美味しそうな黄色い果実があって。お皿にのっていたから、僕は悪戯半分にかじったんだ」
甘い汁が口いっぱいに広がった。
舌にとろけるような感触がして、今まで食べた果実の中で一番美味しかった。
「彼は焦って僕からそれを奪おうとした。僕が美味しいよって笑ったら、ほっとしていた」
彼は町に来る途中、草の中に光る果実を見つけたと言っていた。
誘われるように拾ったけれど、毒があることも考えて、この町の図書館で調べようと思っていたらしい。
「僕は、美味しいから食べてみてって、ほとんど無理やり彼に半分食べさせた」
そして、彼は死んだ。
「僕は、苦しむ彼を置いて、逃げたんだ」
してはならない罪を何重にも重ねて。
それでも僕は、生きている。
「魔法で……僕を殺すことはできないの?」
断られると分かっていて、聞いてみる。
「これ以上、逃げる気?」
僕は、何も言えずにうつむいた。
自分が、どうしようもなく情けなく思えた。
「あなたといると、僕は自分のことが嫌いになるよ」
「もし、これから誰を殺すこともなく魔法を使えるようになるとしたら、どうする?」
そんなの夢物語だ。
ため息をつく僕にはお構いなしに、続けて彼女は聞く。
「もし、私がそれを可能にできるとしたら、どうする?」
僕は驚いて、思いきり顔を上げた。
「できるの!?」
彼女は僕の質問に答えることなく、同じ質問を続けた。
「できたら、どうするの?」
「もちろん、魔法を使うよっ。僕が魔法を使えるようになるのが、一番いいんだ」
息せききって答える。
そんなことが本当にできるのか?
「魔法が使えたら、嬉しいの?」
もちろん。
そう、すぐに口に出すことは、なぜかできなかった。
「嬉しい……に、決まってるじゃないか」
自分に言い聞かすように、答える。
「そう」
「ねぇ。ほんとにできるの? そんなこと、できるの?」
彼女は、少しの間考えこんでいた。
僕は何度も強く問い詰めた。
でも、何も言ってくれなかった。
「できるんなら、なんとかしてよ!」
彼女の肩を揺らして、何度も頼む。
「たくさんの人たちに迷惑をかけて、人まで殺して……っ。それで結局何も変わらないなんて、僕は嫌だよっ」
「それなら、約束して」
彼女は逆に僕の肩を掴み、僕の瞳をのぞきこんだ。
「どんな約束だってするよ」
「どうか、あなたが味わった悲しい気持ちを忘れないで。人の人生を止めてしまうことが、いかに罪の重いことか。その人が関わった友人、仲間、家族、どれだけの人を苦しめるか、ずっと覚えていて」
自分の罪を責められた気がした。
「当たり前だよ。こんな苦しい気持ち、忘れるわけないよ」
「生命の大切さ。永遠に忘れないで。ほんの些細なことで、小さな行為のせいで、大きな大きな過ちを犯す可能性があること。絶対に忘れないで。罪を犯したまま逃げて、今と同じような後悔は二度としないで」
彼女は何度もその言葉を繰り返した。
きっと、彼女にとって大切な意味があるのだろう。
「分かったよ。僕は、一生忘れない。一生をかけて償っていく。後で後悔するようなことは、もうしないよ」
僕も真剣に彼女の思いに応える。
彼女はゆっくりと頷いた。
「あなたは魔法を使えるようになるわ」
彼女の言葉は甘美な響きをもっていた。
僕は次の言葉を無言で待つ。
もし、彼女の言っていることが嘘で、失敗に終わったとしても。
僕は、彼女の伝えてくれるだろう何かを知りたかった。
「でも、その前にあなたは知っておくべきことと、やるべきことがある」
今すぐできるというわけじゃないのか。
少しがっかりした。
胸の高鳴りはだんだんと静かになっていく。
「それは何?」
微かな希望を頼りに、僕は聞く。
彼女はスクっと立ち、僕の目の前に立った。
「あなたのいるべき場所に戻って、あなたがやるべきだと思ったことをしてきなさい」
「え……?」
彼女の顔からはもう笑みの欠片も見られない。
僕は、言われたことをすぐには呑み込めずにいた。
彼女は続けて、衝撃的な事実を僕に伝えた。
「あなたは人を殺してはいないわ。戻って確かめてきなさい」
僕はしばし呆然とした。
この人は何を言っているのだろう。
「昨日の夜、あなたの住んでいる町に行ってきたわ」
だから姿が見えなかったのか。
「私が今、あなたに言えることは1つよ。今は戻りなさい。そして、今度こそ逃げずに受け入れてきなさい」
あの人は苦しんでいた。
血も吐いていた。
あのまま死んだと思っていた。
でも、生きていたのか?
死んではいなかったのか?
僕は殺人者ではなかったのか?
「それは、ほんとうに?」
「あなたの目で事実を確かめてきなさい」
彼女はきっと、これ以上話さないだろう。
僕は席を立ち、その場を去った。
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