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<天平文化>
(1)律令体制も整い、中国のマネをして時代の証を残そうかなと思って書かれた歴史書を2つと、国ごとの説話などを集めた地誌を1つ答えよ。
答:古事記・日本書紀 風土記
(2)(1)の時代と文化名を答えよ。
答:奈良時代・天平文化
(3)このころはまだ人々は素朴で大らかである。約760年頃に書かれたと思われる、天皇から庶民まで幅広い国民的歌集を答えよ。またその選者を答えよ。
答:万葉集・大伴家持
(4)(3)に歌をのせた人を知っているだけ4人答えよ。
答:額田王・柿本人麻呂・大伴家持・山上憶良・山部赤人などから4人

<国風文化>
(5)遣唐使の廃止から、平安時代には国風文化が花開く。掛詞や縁語の多い、高級テクニックを駆使した女性的な歌の多い、最初の勅撰和歌集を答えよ。またその編纂者も答えよ。
答:古今和歌集・紀貫之
(6)平仮名により、人間の細やかな感情を表現できるようになった。それによって本格的な物語や随筆が現れるようになる。では、紫式部の書いた作品は何か。
答:源氏物語
(7)紀貫之によって書かれた最初の日記は何か。
答:土佐日記
(8)藤原道綱の母によって書かれた女性初の日記は何か。
答:蜻蛉日記
(9)不幸な生い立ちを感じさせない「をかし」の文学である枕草子(随筆)を書いたのは誰か。
答:清少納言
(10)貴族から主役が武士へと移っていく過程で、貴族は自分たちの価値を見出すため歴史物語を書くようになる。道長を称えた歴史物語と、道長への批判も書かれている歴史物語を答えよ。
答:栄華(花)物語・大鏡
(11)平安も末期になり、武士や民衆が読んで楽しくためになる説話が現れる。その代表的な説話集を答えよ。
答:今昔物語集

<鎌倉の文化>
(12)鎌倉時代となり、もう1度貴族の世の中に・・・と願った後鳥羽上皇が命令した歌集を何と言うか。また、選者は誰か。
答:新古今和歌集・藤原定家
(13)西行の書いた隠者の文学としての、個人的な歌集は何か。
答:山家集
(14)後鳥羽上皇に影響を受け、武士にも関わらず源実朝が作った和歌集を何というか。
答:金槐和歌集
(15)武士の世となり、武士や民衆が面白いと言って読む説話が流行する。宇治の平等院で寝っころがって聞いた色んな人の話をのせた説話集を何というか。
答:宇治拾遺物語
(16)平氏が興隆し、平安末期に滅亡するまでの物語を何と言うか。また、それを広めた人は誰か。
答:平家物語・琵琶法師
(17)貴族から武士の世になってしまい、何と世の中とは移ろいやすいものかという無常観が書かれた作品が鎌倉初期には多い。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの、水には、あらず」で有名な随筆と作者を答えよ。
答:方丈記・鴨長明
(18)14世紀になり、武士の世となったショックも落ち着きをみせる。古典や趣味などを鋭い眼差しで書いた吉田兼好の随筆を答えよ。
答え:徒然草

<室町の文化>
(19)室町時代になり、自治組織である「惣」も現れる。そのような中、民衆は来世よりも現在の幸福や富を求めるようになる。民衆の夢がつまった浦島太郎に代表される絵本を何というか。
答:御伽草子
(20)和歌だけの文学は鎌倉でほぼ終わりを告げる。室町に入り、庶民の間で、複数の人間で上の句と下の句(五七五と七七)を 順番に作っていく和歌が流行する。それを何と言うか。
答:連歌
(21)室町に入り、農民によって行われた田楽や猿楽を発展させた能楽が現れる。世阿弥が書いた能楽論を何というか。
答:風姿花伝

<元禄文化>
(22)江戸時代に入るまでは戦乱の時代であり、文学どころではなかった。江戸に入り、平和が訪れ、町人中心の文化が栄える。しかし、武士・百姓・町人・えた・ひにんといった身分制は存続する。そのような身分制の中、義理と人情の板ばさみにあう姿を描いた浄瑠璃の作品を2点答えよ。また、その台本を書いた人を答えよ。
答え:曽根崎心中・国性爺合戦  近松門左衛門
(23)室町時代では連歌が流行していたが、5・7・5だけ独立し、俳諧が生まれる。俳諧は遊びでしかなかったが、それを芸術にまで高めた人の名を答えよ。また、その人の作品を2つ答えよ。
答:松雄芭蕉  奥の細道・野ざらし紀行
(24)社会が安定し、学門を武士や民衆も学ぶようになる。宮崎安貞によって書かれた農業についての作品を答えよ。
答:農業全書
(25)御伽草子から発展した、浮世、つまりこの世の出来事や人の気持ち(イロとカネが主)をありのままに書いた小説である浮世草子の代表的作者を答えよ。また、その人の作品を3つ答えよ。
答:井原西鶴  好色一代男・日本永代蔵・世間胸算用
(26)この時代、今でいうSFやアドベンチャーものである「読本」が流行する。上田秋成が書いた怪談・奇談を答えよ。
答:雨月物語
(27)町人の風俗を描いた浮世絵が始まる。見返り美人の作者を答えよ。
答:菱川師宣

<化政文化>
(28)演劇として形を整えた歌舞伎の、鶴屋南北の代表的作品を答えよ。
答:東海道四谷怪談
(29)松尾芭蕉の後、俳諧はダメになるばかり。これを立て直そうとした俳諧の代表的な人を2人答えよ。
答:与謝蕪村・小林一茶
(30)昔の文学から得たものを今に生かそうという国学を大成した人を答えよ。また、その作品も答えよ。これが天皇を敬う尊王論を育て、幕府批判の思想へとつながっていくことになる。
答:本居宣長・古事記伝
(31)吉宗が漢訳の洋書輸入を許可したことにより、外国の学門である蘭学が発達する。オランダ語の人体解剖書を翻訳した作品と、作者名を答えよ。
答:解体新書・杉田玄白
(32)元禄文化に続き、読本は流行する。読んでいてスカっとする、勧善懲悪・因果応報の精神で書かれた滝沢馬琴の作品を答えよ。
答:南総里見八犬伝
(33)平和が続いたせいか、滑稽本が多くなる。十返舎一九と式亭三馬の代表的作品を1つずつ答えよ。
答:東海道中膝栗毛・浮世風呂
(34)元禄文化で浮世絵が始まるが、錦絵と呼ばれる多色刷りが盛んになる。美人画で有名な人を1人答えよ。
答:喜多川歌麿
(35)錦絵の風景画である「富嶽三十六景」を描いた人と、「東海道五十三次」を描いた人をそれぞれ答えよ。
答:葛飾北斎・歌川(安藤)広重
(36)日本地図を作り上げた人を答えよ。
答:伊能忠敬

<明治前半>
(37)明治に入り、西洋の考え方や文化を紹介する本が出始める。福沢諭吉が明治5年(1872)に書いた作品を答えよ。
答:学問のスゝメ
(38)江戸の文学は勧善懲悪の読本など、現実を直視していない。現実をありのままに写そうという写実主義が現れる。そのことについて書かれた坪内逍遥の評論を答えよ。
答:小説神髄
(39)坪内逍遥の弟子であり、恋に悩む心をありのままに書いた「浮雲」を発表した人を答えよ。この年は明治20(1887)であり、同年伊藤博文が憲法を考え中である。
答:二葉亭四迷
(40)日本が近代化していき、写実主義が生まれる中、近代化に反対する人たちも現れた。その1人である尾崎紅葉の代表的作品を2つ答えよ(江戸にこだわる)
答:金色夜叉・多重多恨
(39)近代化を批判する人の1人である幸田露伴の書いた作品を1つ書け。
答:五重塔

<明治半ば>
(40)明治27(1895)には日清戦争に勝利し、明治37(1905)には日露戦争に勝利する。日本全体がハイテンションになり、浪漫主義の文学が生まれる。その代表的作品である舞姫は誰によるものか。
答:森鴎外
(41)浪漫主義の作品である樋口一葉の作品を1つ答えよ。
答:たけくらべ・にごりえ などのうち1つ
(42)浪漫主義の「山の中の美女に近づく男が畜生に変えられる」という内容の作品を答えよ。筆者は泉鏡花である。
答:高野聖
(43)武蔵野の自然の素晴らしさについて書かれた「武蔵野」の作者を答えよ。
答:国木田独歩
(44)浪漫主義の詩である美しい恋愛を書いた「若菜集」の作者を答えよ。
答:島崎藤村
(45)浪漫主義の歌集「みだれ髪」の作者を答えよ。
答:与謝野晶子

<明治後半>
(46)日露戦争の終わり以降、「世の中の現実は浪漫主義みたいにキレイなものではない、醜い部分もありのまま書くべき」という考え方が現れる。(日露により17億の戦費・40万人の死傷者が出たにも関わらず賠償金も取れず重税がかせられる)。それが自然主義である。その代表的作品である「破戒」や「夜明け前」を書いた人物を答えよ。
答:島崎藤村
(47)田山花袋が書いた自然主義の作品を2つ答えよ。
答:蒲団・田舎教師
(48)自然主義の流れで現実の苦しい生活を歌った歌集「一握の砂」「悲しき玩具」を書いた人を答えよ。
答:石川啄木
(49)自然主義一色となり、日本独特の醜さをダラダラ書かれた作品が多くなる中、独自の文学の道を辿った反自然主義の人も現れる。その1人である森鴎外の作品を4つ答えよ(浪漫主義である「舞姫」は除く)
答:青年・雁・山椒太夫・高瀬舟・妄想・安部一族 などの中から4つ
(50)同じく反自然主義であり、芥川龍之介の師匠でもある「我輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」「三四郎」「こころ」「道草」「明暗」などを書いた人物を答えよ。
答:夏目漱石
(51)こざかしい技巧を使わない「写生」を唱えた人は誰か。また、何という雑誌を刊行したか。
答:正岡子規・ホトトギス

<大正の文化>1912〜1925
(52)大正デモクラシー・第一次世界大戦による軍需品輸出などで活気が出始め、自由に個性が開花する。その1つが官能的・享楽的・芸術至上主義的な耽美派である。「刺青」「痴人の愛」「細雪」を書いたその代表的人物を答えよ。
答:谷崎潤一郎
(53)耽美派の詩である邪宗門を書いた人物を答えよ。
答:北原白秋
(54)耽美派とは反対である理想的人格を目指した前向きで優等生的な白樺派も生まれる。その代表的人物である武者小路実篤が書いた作品を2つ答えよ。
答:友情・お目出たき人・人間万歳 などから2つ
(55)白樺派である「和解」「暗夜行路」を書いた人物を答えよ。
答:志賀直哉
(56)白樺派の詩集である「道程」「智恵子抄」を書き、口語自由詩を作り出した人物は誰か。
答:高村光太郎
(57)耽美派・白樺派とも違い、相対的な視点で書く新現実主義の1人芥川龍之介の作品を1つ答えよ。
答:羅生門・鼻・河童・歯車・枯野抄・芋粥・地獄変 などから1つ
(58)この時代、春と修羅や銀河鉄道の夜を書いた人物を答えよ。
答:宮沢賢治

<昭和時代>1925〜1988
(59)資本主義が進む中、労働者は一層貧困になり、資本家は肥えていく。労働者よ、団結して社会的問題と戦おう!というプロレタリア文学が生まれる。その代表的人物である小林多喜二の書いた作品を1つ答えよ。
答:蟹工船
(60)プロレタリア文学とは反対に芸術の世界に没頭し、「文芸時代」という雑誌で活躍した新感覚派が生まれる。その代表的作品「伊豆の踊り子」「雪国」「千羽鶴」を書いた人物は誰か。
答:川端康成
(61)新感覚派を受け継いだ新興芸術派の代表的作品「山椒魚」「黒い雨」を書いたのは誰か。
答:井伏鱒二
(62)新興芸術派の「檸檬」を書いたのは誰か。
答:梶井基次郎
(59)明治20(1945)に戦争に負け、価値観も崩壊し、信じるものを見出せない虚無感漂う作品が多く出る。その代表的作品である「走れメロス」「斜陽」を書いたのは誰か。
答:太宰治


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