人類
 人類が猿から進化したこと、知ってるかしら?

 当たり前だろ。常識だって。
 
 今では、皆そのことに対して疑いももってないわね。でも、昔は知らない人も多かったの。キリスト教では人間を神が創ったと思っていたしね。ダーウィンっていうヒゲもじゃの人が「種の起源」とゆー本で「人間は猿から進化した」と言ったら、すっごく批判されたのよ。人と猿を一緒にするなーってね。

 う〜ん。確かに、猿と人間って全然違うように見えるもんね。

 ええ。でもね、実は不思議な猿もいるの。
ある一頭のチンパンジーが、朝起きたら、木の枝を拾い始めていた。
拾っては捨て、拾っては捨て、どうやら枝を選んでいるようだ。
ようやく、1本選ぶと釣りざおの形にしたそうなの。
それを陰で見ていた研究者は、そぉっと後をつけていった。
すると、チンパンジーはなんと!!蟻塚とゆー蟻の巣にそれを突っ込み、引出し、くっついてきた蟻をベロベロなめたんだって。
そのチンパンジーは、道具も使って、どうやったら蟻が取れるかなと工夫もしたんだね。
他にも、チンパンジーの中には、手話まで覚えちゃったチンパンジーがいたらしいよ。
思ったことを伝えるとか道具を使うとか、それだけでは、人間だとは断言できないのよね。
猿だって、やろうと思えばできるんだもの。
今日は、人間と猿の決定的な違い何か、の話からいくわ。

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<人類の歴史>

 それじゃぁ、猿と人間の決定的な違いの話からいくわね。

 もったいぶらずに早く言えよ〜。

 はいはい。それは、直立歩行よ。直立歩行すれば、手が自由になる。だから道具を猿以上に使うの。道具を使ったり言葉を使用したりする動物が直立二足歩行していれば、それが人間だって断定できるのね。

 ふむふむ。まずは、直立歩行ありき、なのね。

 そう。直立歩行によって、道具をたくさん使うようになり、頭も体でしっかりと支えられるようになったお陰で頭自体が大きくなっても大丈夫になった。そして、脳も発達して頭がよくなったのね。
じゃぁ、この猿から人間への歴史を辿るわ。
まず、約400万年前に初めて人類が現れた。それが「猿人」。代表的なのは、アウストラロピテクス。彼は最も昔の人類よ。

 猿と人間の差は直立歩行だから・・・アウストラ何とかって奴も直立歩行なのか?

 アウストラロピテクス、ね。そうよ。直立歩行をしたの。そして、道具である石器を使ったわ。石器は石を砕いたりして作ったものよ。アウストラロピテクスはアフリカにしかいない。だから、人類の始まりと言われているの。人類はアフリカから生まれて広がっていったのよ。

 アフリカと言えば・・・ジャングル!?

 そうね〜。アフリカは熱くて雨も降るから植物もよく育ったのね。食べる物も豊富だったアフリカは他の地域に比べると住みやすかったかもしれないわ。まだ稲作なんて知らないしね。アフリカから人類が生まれて、世界にも散らばっていったし、アフリカでもまた新しい人類が生まれたりと、人類はどんどん進化していったわ。
次に、200万年前から40万年前くらいが原人の時代。
50万年前ごろのジャワ原人や北京原人が有名なので、覚えましょう。
直立歩行をしていた猿人は、頭を体全体で支えられるようになり、脳がどんどん発達した。
原人の頭はかなり発達していて、言葉を使用できちゃいました。

 コミュニケーションを取ったほうが、やれることが多い!獲物も捕りやすいってことに気づいたんだね。頭よくなったから。

 それから火も使用できるようになった。それによって、食べられるものも多くなった。だから、北京やジャワ地方やらまで移動する余裕があったのね。

 ほほう。北京やらジャワやらにいたから北京原人とかジャワ原人って名前なんだな!
北京は中国だろ? ジャワは・・・どこじゃい。

 ジャワ島って知らないかな?日本の南西あたりにある、東南アジアのインドネシアの島よ。
そして、20万年前くらいに旧人が登場するの。ネアンデルタール人が有名ね。旧人の特徴としては、手足を折り曲げて埋葬したり、花を添えたりしたこと。「死ぬことが悲しいと感じたり、花を見て綺麗と感じたり」することができていた。だんだん精神が豊かになっていったのね。

 へ〜。20万年も昔から、もう死にたくないって皆思うようになってたんだ〜。

 ええ。優しい気持ちを持ってたことが分かるわね〜、次に、新人。5万年前くらいに登場するわ。フランスで発見されたクロマニョン人や上洞人が有名。彼らは洞窟に壁画を書いたの。スペインのアルタミラ洞穴、フランスのラスコー洞穴の壁画は有名ね。フラスコーと覚えるといいかな。クロマニョン人は遺伝子的に今の人類と似ていることから人類の直接の祖先と言われているわ。

 俺らになる手前ってやつか。いやぁ、クロマニョン人君も、こんなに頭のいい俺様みたいなのが生まれるようになるなんて、思わなかっただろうなぁ。はっは。

 そ・・・そうねぇ。想像だにしなかったでしょうねぇ。
 そして、約1万年前に、「旧石器時代」が終わるの。
「旧石器時代」とは何かってゆーと、これまで私がしゃべってきた段階では、ずっと狩りや採集や漁をして暮らしてきたの。道具は打製石器を使っていた。石を砕いたりしてできた石器を磨くことなく、そのまま使うのが打製石器ね。この打製石器を使っていた時代が、旧石器時代よ。この言葉は日本でも世界でも同じ。じゃぁ、日本にいくわ。
日本でも群馬県の岩宿遺跡で打製石器を見つけたの。 1万年以上前の火山灰でできた関東ローム層の中から、石器が発見されたのね。地表面にある黒土の下に、その赤土はあるの。それまでは旧石器時代に日本に人間がいなかったと思われていたから、大発見だったんだよ。今は何千も見つけられているけどね。

 関東ローム層・・・ってことは、日本の関東にあるの?てゆぅか、それ、何?

 富士山とかたくさんの山が噴火してできた火山灰(マグマの粉)が、偏西風っていう風にのってきたの。中には九州から運ばれた火山灰もあるそうよ。それが、この関東地方、つまり東京あたりに積もりまくって、赤い土がおおったの。その関東ローム層が作られたのは、だいたい100万年前ね。

 なんで関東にたまるんだよ。

 (やばい。話が脱線してる。)風で流れてきた火山灰が、この辺にある多くの山にぶつかったり、地殻変動などで大地の形が変わったりしてね。川や海にそっている陸が階段みたいになって(段丘)、火山灰が風で流されにくくなったからだと思うわ。
それはそうと・・・、旧石器時代の話に戻るわよ。旧石器時代は打製石器を使っていた。そして、もう1つの特徴として、旧石器時代は氷河期がたびたび襲ってきたの。すっごく寒くなるのね。氷河期になると水が凍って、海水も少なくなる。だから、日本は大陸と陸続きだったのよ。陸から、ナウマン象やオオツノジカが渡ってきて、日本にもその化石があるの。

 象さん鹿さんが歩いてきたんだぁ〜。オオツノジカってツノがでかいの?

 ええ。めちゃめちゃでかいわ。
旧石器時代が終わったら、世界では、新石器時代よ。この時代に入ると氷河期はもうないわね。
旧石器時代との違いは、石器よ。磨いて加工した磨製石器が出てくるの。
あとは、農耕・牧畜が始まるわ。
しかーし!!ここが重要よ。日本では新石器時代ではなく、縄文時代が始まったの。
新石器時代とは違って農耕・牧畜が始まらなかったのよ。まだ狩りや漁や採集の時代なのね。
磨製石器や土器はあったけど。
この時食べたものは今も食べていたりするわ。鯛とかほたて貝とかね。
なぜそんなことが分かるかって、貝塚というゴミ捨て場が残っていたからなの。食べた貝殻なんかがまだ残ってるわ。
住居は竪穴住居。50センチくらいの深さの穴を円形にあけて、柱を何本か建てて、草や木で屋根をかぶせたの。ちなみに、土偶も作られたのよ。魔よけや、もっと獲物を捕れますようにーって祈るのに使われたと思われているわ。
ここまでで、まとめるわね。


<人類の歴史>

@猿人(400万年前)−アウストラロピテクス(400万年前)
  最古の人類。直立歩行。道具(石器)使用。
A原人(200〜40万年前)−ジャワ原人・北京原人(50万年前)
B旧人(20万年前)−ネアンデルタール人(20万年前)
 埋葬の風習が始まる。
C新人(5万年前)−クロマニョン人・上洞人(5万年前)
  洞窟壁画。現在の人類の直接の祖先。

<日本の時代区分>

@旧石器時代・・・打製石器を用い、狩猟と最終の生活。1万年前ごろまで。
日本の氷河期時代−大陸と陸続き。ナウマンゾウやオオツノジカの化石
岩宿遺跡(群馬県。関東ローム層)で打製石器発掘。

A縄文時代(日本) × 新石器時代(世界)
狩りや漁や採集中心。
磨製石器・縄文土器。
貝塚:縄文時代のゴミ捨て場。食べた後の貝殻が堆積
竪穴住居
土偶:魔よけ・生産を高めることを祈る
 ※新石器時代・・・磨製石器を用い、農耕・牧畜の生活。1万年前ごろ以降。


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四大文明

 この間やった、日本での縄文時代はとっても長くてね。日本が縄文時代の間、世界では色んなことがおこっていたのよ。日本が「狩りや採集や漁」の生活で、よく言えば平等。悪く言えば原始的な生活をしていた時・・・世界では文明が起きていたの。

 日本はちんたらしとったんだな? まったくよぉ。

 そうねぇ。のんびりしてたのね〜。文明は四大文明と呼ばれる大きな文明が4つあったの。全て川の近く、川の流域で起こっているわ。なぜかと言えば、栄養を含んだ土と水分の両方が大きな川には備わっているから、食料に困らないの。食料に困らないと、心も体も豊かになって、文明が起こるわけ。文明っていうのは、村よりも大きな規模の集まりである「都市国家」を作って、道具も石器や土器より進んだ「金属器」を使って「文字」を持つようになったりと、格段に前より新しくなった状態をいうのよ。

 ふ〜ん。とにかく、色んなことが、日本より進んでたんだ〜。

 そうなのよ。まず、1つ目はエジプト文明。ナイル川の流域。ナイル川は定期的に氾濫したの。氾濫の時期はいつも決まっていて、それに気づいた人が「次はいついつに氾濫するであろう」と予測したわけ。人々は「あの人の言ったとおりになった!彼は神だ!」と信じた。そして予想できた人が王となり、また神と思われ、崇められたの。だから、王様のお墓と思われているピラミッドも、あんなに大きいのかもね。でも、氾濫の時期の後に栄養のある土ができるから、氾濫の時期はもっと正確に予想したい。そこで、太陽暦が発達したのよ。具体的に言うと、1年を太陽の動きに合わせて、1年を365日に決めたの。
文字は象形文字で、絵みたいよ。草を広げたパピルスに書いたのね。
この時まだ、日本は縄文時代よ。

 人間が、神様を気取ってたんか〜。なんかむかつくな。

 次にメソポタミア文明ね。チグリス川とユーフラテス川の流域よ。
彼らの文字はくさび形文字といって、カッターで切ったような文字。粘土板に書いたのよ。
暦は太陰暦で、月を基準とした。だから太陽暦とは違って、1年は354日だったの。この地域が最も発展したのはハンムラビ王の時で、ハンムラビ法典という世界初の法律が作られたわ。皆も聞いたことがあるかな?「目には目を 歯には歯を」という復讐法。殴られたら殴り返さねばならないと。そーゆうことよ。
これと反対の考え方は、後で話すけれどローマで生まれたイエス=キリストの「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」という言葉ね。
メソポタミア文明では、六十進法も使われたわ。今、60分を1時間としているのは、この時の名残よ。ちなみに、この時もまだ日本は縄文時代なのよね。

 私はキリストにはなれないかもぉ・・・。やっぱり、殴られたら殴っちゃいたいなぁ。ハンムラビ法典を作ったハンムラビ王って、私みたいに我慢できない人だったのかなぁ。

 それが人間ってものなのよね。でも、憎しみは憎しみしか生まないわ。殴られた人はまた腹が立って、より強く殴り返してくるものだもの。話合いで解決するのが、本当は一番なのよね。
次にインダス文明よ。インダス川の流域。モヘンジョ=ダロやハラッパーなどの都市の遺跡が有名。でも、紀元前1000年くらいにアーリア人が侵入してきちゃって前から住んでいた先住民を征服したの。
んでもって、カースト制度という身分制度をつくったわ。その身分は子供にも受け継がれて、どんなに努力しても他の身分にはなれないんだ。今は何千にも枝分かれしてるけど、存在はしてるのよ。
それから、先住民とアーリヤ人の関わりの中で、ヒンデュー教ができたとも言われているわ。4世紀頃ね。
ちなみに、ここでは仏教も生まれたのよ。シャカは、心の迷いを捨てれば誰でもこの世の苦しみから救われると説いたの。色んな宗教がこの地で生まれているのよ。
この時すら日本はまだ縄文時代なの。
ちなみに、シャカが生まれてから12年後には中国で孔子が生まれているわ。後で話すから覚えておいてね。

 何!? 仏教は日本からじゃなかったのか! ヒンデュー教も仏教もここから生まれているとは・・・。宗教の宝庫って感じだな。

 そうね〜。この辺でイスラム教も6世紀(570年頃)に起こるしね〜。

 ほんとに宗教まみれだなぁ。そっかぁ。シャカもここにいたんだ〜。

 うんうん。今でもその精神が受け継がれているんだから、すごいわよね〜。
次に中国文明。別名黄河文明。黄河流域よ。
ここは日本の近くで関わりも深いから、国名も紹介するわ。
まずは殷。本当は殷の前にも国があった可能性もあるけど、伝説だから確かではないの。
分かっているのは殷からね。
殷では青銅器がよく使われたのよ。青銅器は銅と鈴を混ぜてつくったの。この時代には鉄器はまだ使われていないわ。
青銅器ってところがポイントね。主に祭りで使われたと言われているのよ。
殷では占いをしたわ。
動物の骨や甲羅を火であぶって、ヒビの入り方をみて「今年は豊作じゃ〜」とか叫ぶわけよ。
その占いの結果を記録として残しておこうかなっと思って、亀の甲羅や骨に甲骨文字を刻んだの。
コレが漢字の原型ね。
殷の遺跡は殷墟(いんきょ)というの。こっから、甲骨文字や青銅器がでてきたのよ。王の墓が発掘されていて、何百人、何千人もの人が一緒に殺されて埋められているんだって。
一応付け足すと、殷の時代もまだ日本は縄文時代。

 げっ。ここであの魔の漢字の元ができたんだな?全部ひらがなでいーのによ。
王1人死ぬだけで、他の奴らも死ななきゃなんねーのも許せねーなぁ。

 漢字があったほうが文が読みやすいわよぉ。たくさんの人を一緒に埋めたのは、「自分はこんなにえらいんだ」っていう権力を見せつけるためもあったと思うわ。
でも、殷の王様は愚かだったみたいよ。池に酒を入れて、肉を木にぶらさげて、女の子と遊ぶっていう酒池肉林という宴をしたらしいわ。
だから、支配していた武王って人に倒されちゃったの。殷は周に変わったのよ。
周は最初は強かったんだけど、異民族が侵入してきて、王様の力が弱くなっていったの。
王様はそれまで、「あなたにはここら辺の地域を任せるよ」と、広い周の国を地域ごとに色んな人に任せていたの。それが諸侯。でも、王様の力が弱くなると、周辺の諸侯が自分こそ王になろうと戦いを初めてしまったわ。それが春秋・戦国時代。ただし、王様は自分たち諸侯に地域を任せてくれた恩もあるから、すぐに周がなくなったわけではないのよね。次の王を決めるために諸侯同士が戦ってたのが春秋時代で、誰であっても勝ったもんがちって考えになったのが戦国時代よ。その間に周が消えちゃう。家臣が主君を倒す下克上の世の中ね。
この春秋・戦国時代に、鉄製の農具か使われるようになったの。
殷からは青銅器で、春秋・戦国時代からは鉄製農具ね。
鉄製農具は前よりもサクサク土地を耕せる。そうすると、耕せなかった荒れた土地も耕せるようになって、もっと土地がほしいと余計に争うようになったのね。
この春秋・戦国時代に、孔子が現れたのよ。生まれたのは紀元前551年。シャカがインドのあたりで生まれてから12年後のこと。さっき言ったわよね?荒れる世の中を見て、「社会には秩序が大事であり、人には道徳がなくてはならない」と説いたの。これが儒教よ。
ちなみに、周の時代も日本は縄文時代だったわ。
でも、春秋・戦国時代の終わりがけに、日本はやっと弥生時代になったのよ

 や・・・やっと日本は縄文時代を抜け出すのね・・・。長すぎるわ、日本・・・。

 弥生時代の話は後でね。
この戦国時代。皆知ってるかな?「矛盾」という言葉のルーツはここで生まれたのよ。
いずれ国語の時間ででてくると思うけど。商人が矛(ほこ)を売るときはどんな盾でも貫くと言い、盾を売るときにはどんな矛でもはねかえす」と言って武器を売っていたの。その時、見ていた男が「おまえの矛でその盾を突いたらどうなるんじゃ!」と言ったのね。これが「矛盾」という言葉のルーツ。
鉄製農具が使われてたんだから、鉄製の武器もだんだん出回り始めたってわけ。だから「すごい武器だよ!」と商人は売ったんだね。
ちなみに、この辺りで弥生時代になった日本には、殷の時代からある青銅器と、この時代に現れた鉄製の農具が一辺に両方とも入ってきたのよ。

 うーむ。日本って大したことなかったんだなー。
しかし、言葉のルーツってそんな昔からあるとはな。漢字って結構面白いかもな。

 ええ。調べていくと病みつきになるわよ♪
そして、紀元前221年には、この戦乱の時代も終わるの。
秦の始皇帝が中国を統一したのよ。
彼は、異民族が侵入してこないように「万里の長城」も築いたわ。
この時はもう日本は弥生時代ね。

 万里の長城! 何だか聞いたことある〜。そっかぁ、こんな昔に作られたんだ。

 ええ。私は実際に中国へ見に行ったこともあるのよ。壮大よ〜。
でもね、万里の長城はでかくて、工事が大変だったの。民衆にもいっぱい負担させてね。その上、刑罰とか法律も厳しくしたものだから、反乱が起きたのよ。でも、その頃宮廷内でも権力争いがあって、反乱にかまってる余裕もなく、気づいたら反乱は大きくなってたわ。
そして、新しく漢という国になったの。

 始皇帝も大変だなぁ。

 いえいえ。始皇帝が死んじゃった後よ。もういっちょ漢字ルーツでもやろうかしら。
この漢の時代には「馬鹿」のルーツがあるわ。始皇帝も死んで臣下が権力を握り、飾りものとなってしまった皇帝がいたの。皇帝に対して臣下は鹿を連れてきて「馬でございます」と言ったわ。皇帝はもちろん「それは鹿だ」というのだけれど、臣下は皆、口をそろえて「馬だ」と言い張る。
それくらいに鹿を馬だと言うこともできないってくらいに、皇帝は飾りものだったのよ。
文字通り、そんな馬鹿なことをしている間に、反乱はおさえられなくなっていたの。
そして、漢になったというわけ。

 馬鹿って言葉も、そんなおえらいさん達の中でできた言葉だったのね・・・。

 じゃぁ、次に漢の話にいくわ。
漢は、7代目の武帝の時に大帝国になるの。
紀元前2世紀ごろの武帝の時に西域を平定してからシルクロードが始まったといわれているわ。
シルクロードは知ってるかしら?東西を結ぶ交易路で、中国からは主に絹が運ばれたからシルクロードというの(他には漆器や製紙法。中国へはガラス製品や羊毛や宝石など)。
でも、漢は後継者争いで混乱し、武帝が死んでからいったん漢は途切れてしまった。
皇帝の親戚だった王莽が紀元後8年に新をたてるがうまくいかず、紀元後23年に滅ぶの。
前漢の皇帝の血を受け継ぐ人が王となり、また漢に戻す、と。
これが後漢。だから最初の漢は前漢と呼ばれるのよ。
新はたった15年しかないから、テキストには書いてない場合もあるわ。ちなみに、まだ日本は弥生時代。しかも、卑弥呼すらまだいないの。
日本には100余国の小国が分立していると、漢の「漢書」地理誌に書かれていたのよ。

 うーむ。万里の長城もできて、7代目まではシルクロードもできて・・・。
なのに、日本では弥生時代かぁ。ん? 弥生時代ってどんな時代だったんだ?

 ううん。そこにいく前に、この4大文明にもあと2つ文明があるのよね。
でも、長くなるからここまででまとめましょう。


<文明と古代の世界>
@エジプト文明(紀元前3000年ごろ)−ナイル川流域
ピラミッド《王の墓》。太陽暦《太陽を基準》。象形文字。
Aメソポタミア文明(紀元前3000年ごろ)−チグリス・ユーフラテス川流域くさび形文字。太陰暦《月を基準》。ハンムラビ法典《目には目を 歯には歯を》。
六十進法《時計の考え方の元》
Bインダス文明(紀元前2500年ごろ)−インダス川流域
   モヘンジョダロ。ハラッパー。などの都市の遺跡が有名。
   アーリア人の侵入と征服。カースト制度。
   紀元前563年頃シャカが生まれ、仏教を開く。
   シャカの教え:心の迷いを捨てれば誰でもこの世の苦しみから救われると説く。
C中国(黄河)文明(紀元前1500年ごろ〜)−黄河流域
   (1)殷(紀元前1600〜紀元前1100年ごろ)・・・青銅器。甲骨文字。殷墟。
   (2)周(紀元前1100年ごろ〜紀元前256年)国々に分かれ争う。
   (3)春秋・戦国時代(紀元前770年〜紀元前221年)
    鉄製農具(自分の国が富むように)。「矛盾」のルーツ。
      孔子・・・道徳や政治の道を説く。後に儒教に。
   (4)秦(紀元前221年〜紀元前206年)
      始皇帝が中国統一。万里の長城を築く。→農民の反乱
   (5)漢・・・前漢(紀元前202年〜紀元後8年)・後漢(紀元後25年〜紀元後220年)
      前漢の武帝の時に大帝国。儒教が重んじられる。
    シルクロード(絹の道)・・・紀元前2世紀に西方との交通路が開かれる
                (漢とローマ帝国が結ばれる)
      ※新(前漢と後漢の間)・・・紀元後8年〜紀元後23年。皇帝の親戚による政治


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地中海の文明

 四大文明はちゃんと覚えたかしら?次は、その他の地中海の文明を2ついくわよ。
1つ目はギリシャ文明。紀元前800年ごろ。四大文明に遅れる形で、ギリシャでは文明が起きます。しかーし!ギリシャ文明は四大文明と大きく違うところがある。地理的なことでね。
どこか分かるかしら?

 え〜。何だろ。地理的なこと〜? 地面はあるしー・・・。あ、もしかして、川がない?

 そう。四大文明ほどでかい川がないのね。大河を治めるのは大事業で、灌漑設備とかも必要。だから大きな権力をもつ指導者がいるわ。でも、大河のないギリシャでは、小さな国家である都市国家が現れたわけ。ポリスと呼ばれているわね。ポリスで代表的なのはアテネとスパルタだから、この2つを覚えておけばいいわ。アテネは今でもギリシャの首都よ。

 スパルタ? あのスパルタ教育のスパルタ? そんな名前つけんなよな〜。

 んーと。順序が逆ね。スパルタはとってもしつけが厳しかったの。そこから、スパルタ教育と呼ばれるようになったのよ。

 え! スパルタ教育って言葉は、こんなところからきてるの!

 そうよぉ。言葉は歴史を語るのよ。
一方、アテネの政治形態は民主主義の元祖よ。直接民主政治がおこるの。市民が政治に参加できるってやつ。議員に市民もなれたというわけね。ただし、女性や奴隷は無理だったわ。そこが今と違うところ。仕事は何でも奴隷にやらせたの。畑仕事も何もかも。そうすると、市民は暇よね?暇な人が何をするかって言えば、彫刻彫ってみようかな、とか、色々考えてみようかな、とか。だから、彫刻も栄えたの。ミロのヴィーナスもこの頃のものよ。

 暇を持て余した結果、芸術が栄えると。皮肉な結果だな。

 奴隷の才能は埋もれたままだったかもしれないわね〜。
そんなわけで、世界で最初に哲学を生み出したのもギリシャ人なのよ。さっき言った、色々考えてみようかなってやつ。代表的なのは、ソクラテス君。その弟子のプラトン君。またまたその弟子のアリストテレス君が有名。
このアリストテレス君は実は、アレクサンダー大王の家庭教師をしていたわ。後で出てくるからチェックよ!
それから、建築物ではアテネのパルテノン神殿が有名ね。神殿は神をまつるところよ。

 アレクサンダー大王って誰なの?

 ギリシャ北方の王よ。アレクサンダー大王は紀元前334年から東方遠征をしたわ。「さんざん死なせたアレクサンダー」って覚えるといいわね。
それによって、ギリシャ文化とオリエント文化が融合したの。
オリエントは現在のユーゴスラビアから、エジプト、パキスタン辺りまでを含む地域全体のことよ。そして、その融合した文化をヘレニズム文化というわ。
もちろん日本はこの時縄文時代ね。

 縄文時代!またかよ〜。

 今までのがギリシャ文明。次はローマ文明の話よ。
まず、中国で前漢であった紀元前27年のこと。覚えているかしら?
この時ローマではローマ帝国が成立していたの。日本はまだ弥生時代よ。
ローマはギリシャと同じく、たくさんの都市国家が栄えていたわ。その中のローマが強くなっていって、イタリアを統一し、あれよあれよと、地中海周辺を征服し、大帝国になっちゃたわけ。

 えーっ。さっきやったギリシャ文明は?ギリシャも地中海だよ?

 もちろん、ローマ帝国に取り込まれたわよ〜。
んじゃ、ギリシャ文明とローマ文明の違い!!これは何か!!
それはね、ギリシャは学問や芸術に優れていたでしょ。さっきやった哲学とか彫刻とか。
でも、ローマは実用面で優れていたの。水道・道路・浴場・法律とかね。
なぜかって言えば、ローマ帝国は広い!
広い領土を維持するためには、多くの民族に対応できるような、きちんとした法律が必要だったのよ。人々が行き来しやすいように。
道路も整備したいし、水も確実に確保したい。浴場は−、今の欧米人と違って、日本人と同じように湯につかるのが単に好きだったからかしら。とにかく、実用面が優れていたのよ。

 俺としては、食えねぇ芸術よりは楽できる実用面で優れてるローマ帝国のが惹かれるぜ。

 どっちも大事だけどね。このローマ帝国の時代に、キリスト教が開かれるわ。キリスト教は誰の教えか知ってるかしら?

 イエス・キリスト! なぜだか、それは知ってる〜。

 有名だものね。よく覚えてたわね。紀元前4年に生まれたイエス・キリストは、ローマの支配下にあったパレスチナで生まれたわ。そして、「人はすべて神の前では平等であり,神の愛を信じることによってのみ救われる」といったの。つまり、全人類の救済と愛情ね。十字架にはかけられてしまったけれど、彼の教えは広まり、私たち日本の国にも、いずれ伝わることになるのよ。ここまでで、まとめるわ。


<地中海の文明>

 @ギリシャ文明
   ポリス成立(紀元前800年)・・・アテネ・スパルタ
  アテネにおいて直接民主政治。
   学問:哲学(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)
   建築:パルテノン神殿
   紀元前334年−アレクサンダー大王の東方遠征
     →ヘレニズム文化(ギリシャ文化とオリエント文化融合)
 Aローマ文明
   ローマ帝国(紀元前27年)。
     法律・道路・水道・浴場
     紀元前4年、イエス・キリストが生まれ、キリスト教が開かれる。
       →イエス・キリストの教え:全人類の救済と愛情(神の前ではみな平等)

 

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