古代国家へ
 今までやった世界の話は、高校に入ったらもっとみっちりやるから・・・楽しみにとっておくことにして。日本は世界が旧石器時代だった時はもちろん旧石器時代だったわよね。
でも、世界でいう新石器時代には当てはまらなかった。何故だったか覚えているかしら?

 ふふん。狩りや採集を相変わらず呑気にしてたからだろ? 世界が文明やってんのによ。

 そう!今までのところ理解してるわね☆ 口は悪いけど。
新石器時代の特徴は新しい磨製石器という道具と、農耕・牧畜が特徴。
日本では磨製石器や土器はあったけれど、狩猟・採集のままだったのよね。
でも、とうとう稲作が日本に入ってきて、農耕・牧畜に変わるわ!
この稲作が、今まで平等だった日本の人間に、貧富の差をもたらすのよ。

 えーっ。やだよぉ。稲作の知識だけもらって、縄文時代のまま平等だってよかったのに。

 稲作と貧富の差は、とっても密接につながってるのよ。
稲作をする以上は、どうしても富む人と貧しい人の差が激しくなる。
人間のどうしようもない性(サガ)ってものが、よく分かるわよ。
今日はそれがなぜかって話からするわ。


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弥生時代

 まず、弥生時代。この時代、中国では何の時代だったか覚えているかしら?

 えーっと・・・。殷の青銅器と春秋・戦国時代の鉄製の農具とかが一緒になって日本に入ってきたって、前言ってたよな・・・。ってこたぁ、春秋・戦国時代か?

 そ〜よ! よく覚えてたわね〜、びっくりだわ。争いばっかりの中国から逃げ出してきた人が伝えたのかもしれないわね。戦乱の世になると、他の国へ逃げる人が多くなるのよ。
その青銅器と鉄器の他に、日本に伝わってきたのが稲作よ。
獲物がとれない可能性のある狩猟よりも、ほぼ確実に食べれる農耕のがいいのよね。米なら腐ることなくとっておけるし。

 ふむふむ。つまり、稲作が伝わってきたことによって食べるものに困らなくなったんだ。やったぁ!

 そうね〜。ただ、米はネズミに食べられたりもするから・・・。
高床式倉庫ってゆー倉庫を使って、米を保存しておいたの。
なんで高床式かっていえば、ネズミに食われないためね。ネズミ返しってのが、つけられてるの。床まで辿りつけないようにしてるのよ。
それに、高いところにあると、人間が盗もうとしても丸見えだからね。食料を守る知恵よ。

 ほほう。ネズミからも人間からも米を守れて、一石二鳥だな。

 でも、いいことばっかりじゃないのよね。
お米っていうのは、作るのに時間がかかるの。
田を耕して、種もみをまいて、稲の穂が実ったら、石包丁で穂先をつみとって、うすやきねで脱穀をする。つまり、人によって米作りがうまい人と下手な人との差が出やすいのよ。皆も得意なことと不得意なことがあるでしょ?米は保存できるから、米を持つ人と持っていない人の貧富の差が生まれて、身分の違いができるのよ。土地によっても、米ができやすい土地とできにくい土地があるしね。
それにね、田んぼは一ヶ所で作って、獲物を求めて移動する必要がないから、むらもできるわ。
むらの中で身分に違いが出てきて、指導者が生まれたの。
土地があればあるほど田んぼが増えるし、食べるものも増える。だから、田んぼを作るための土地と、田んぼに必要な水をめぐって、むら同士で争いも起こったわ。

 えーっ。結局日本でも戦乱の世?

 う〜ん。というよりは、強いむらが弱いむらを従えるようになって・・・。そして、規模の大きくなった「くに」が生まれるようになったわけ。
こういった「国」が百余国(100ちょっと)もあったよ、と「漢書」地理誌に書かれているわ。

 「漢書」地理誌? 漢ってことは中国か? なんか、前やったぞ。

 ええ。中国が前漢の時代に書かれたものよ。この頃の日本の様子は中国が字にしてくれているのよ。

 へ〜。中国が春秋・戦国時代の時に日本は弥生時代になって・・・。あれ?春秋・戦国時代の次は秦だったはずなのに・・・もう漢になってるの?

 そういうことよ。弥生時代は長くてね。
日本が弥生時代の時に、春秋・戦国時代・秦の時代・前漢・新・後漢・三国・晋の時代が入れ替わっていたのよ。
三国は3つの国に分裂していたんだけど・・・、知りたい人は三国志のマンガでも見てみて。高校に入ればみっちりやるはずよ。

 ・・・国多すぎ! 覚えらんねーって。

 そ・・・そうねぇ。春秋・戦国時代や新は抜かしてしまうけれど、歌が作れるわよ。
「もしもし亀よ」のリズムで歌うの。いっんしゅっぅし〜んか〜んさ〜んごっくしん♪な〜んぼっくちょ〜うず〜いと〜ぅご〜だい♪そ〜ぅげ〜んみ〜んそ〜んちゅぅかみっんこく♪ちゅ〜ぅっかじ〜んみ〜んきょ〜うわっこく♪(殷・周・秦・漢・三国・晋・南北朝・隋・唐・五大・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国)

 わぁ!すごい!なんか、ちょうどいいわ〜。

 ええ。でも、ちゃんと中国と日本の歴史を連動させるのを忘れないでね。
中国でこの出来事が起きた時、日本はどうなってたかっていう問題もテストによく出るのよ。
まぁ、そんなわけで。
殷の時代からある青銅器も日本に伝わったのね。青銅器には、銅剣・銅鏡・銅矛・銅鐸があるの。銅剣・銅鏡・銅矛・銅鐸(どうたく)って言葉がでたら、弥生時代って覚えようね。
こーゆうのは、祭器や宝器として扱われたのよ。そして、鉄器は武具や工具として使われた。
今までのが、日本に入ってきたものの話。
あとは、縄文土器よりも高温で焼いた、薄くて赤褐色の弥生時が特徴的よ。

 ふーむ。なんか、写真見たことがあるぞ。すっげぇシンプルになってたよな。

 そうそう。赤っぽくて飾りが少ないのよね。
それで、さっき言ってたように弥生時代は小さな国がいっぱいあったの。
中国では、またまた前漢が新になってすぐに後漢になっても、まだその状態だったわ。
そして、後漢になった数十年後の紀元後57年。たくさんある国の中の、1つの国である倭奴国王が後漢に使いの者を送って、金印をもらうのよ。
年は、「こんな(57)金印もらったよ」と覚えよっか。
あ、ちなみに、当時日本は倭と呼ばれていたから、倭奴国王なのよ。倭(わ)の奴国(なのくに)の国王ってことね。

 日本が弥生時代をやってる間に、もう中国は後漢かぁ。

 ええ。後漢。だから、この頃の日本のことは中国の「後漢書」東夷伝に書かれているのよ。
そして!とうとう!弥生時代の終わりごろに・・・。
卑弥呼が魏に使いを送るわ。卑弥呼の弥は弥生の弥よ。卑弥呼は弥生時代の人だ!!ってこと、覚えておいてね。卑弥呼は邪馬台国という国家をおさめていた女王よ。

 あ〜ん?魏〜?それ、さっきの亀の歌の中にもなかったぜ?

 この時中国は、後漢から三国に変わっていたの。三国の1つの国の名前が魏だったのよ。
卑弥呼は30余国を支配していたわ。その様子は中国の「魏志倭人伝」に書かれているの。
魏になったわけだからね。
あ、ちなみに人々が住む家自体はまだ竪穴式よ。

 も〜。中国ったら、どんどん変わるなぁ。たくさんの国に分かれてたことは「漢書」地理誌でしょ?
それから、金印を日本の国にあげたのが「後漢書」東夷伝で〜。で、卑弥呼は「魏志倭人伝」・・・。
1冊にまとめてくれればいいのに!

 でも、そのお陰で、中国と日本の国の移り変わりの関係がわかりやすいわよ。
でね、卑弥呼は239年に魏に使いを送るのよ。金印もだけど銅鏡も100枚くらいもらったらしいわよ。
それからね、卑弥呼は鬼道、つまりまじないをしてたわ。
男だと国が乱れるから、まじないを使う女卑弥呼を王にしたのね。

 男は国が乱れるんかい! まぁ・・・女よりは喧嘩が好きかもな。

 昔から男には喧嘩好きが多かったのかもしれないわね。
じゃ、最後に有名な弥生時代の遺跡を紹介するわ。
まず、静岡県の登呂遺跡。これは超有名よ。
それから佐賀県の吉野ケ里遺跡。
この2つはかなり有名だね。こーゆー遺跡を見ると、当時の村や国の様子が分かるのよ。敵から土地を守るために濠や柵を設けて、見張れるように物見やぐらも置く。
人や土地や作物を何とか守ろうとしたことがよく分かるわ。
あ、濠は、人が飛び越えられないような深くて長い溝のことね。
じゃぁ、ここまででまとめるわ。

<日本の古代国家のおこり>
  @弥生時代(紀元前3世紀〜紀元後3世紀)
  弥生文化
    稲作→貧富の差。争い。高床式倉庫
   金属器(青銅器・鉄器)が伝わる。
   弥生土器:薄手でかたく茶褐色。
   小国の分立(57年奴国王が中国−後漢−の皇帝から金印を授かる)・・・「漢書」地理誌
    → 邪馬台国(女王卑弥呼は30余国を支配)・・・「魏志倭人伝」
   卑弥呼:30余国を支配。

 あ、1つ言い忘れてたわ。卑弥呼が女王の邪馬台国の場所は、実はまだ分かっていないの。
色んな説があるけど・・・。いつか分かるといいわね。


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古墳時代

 次は弥生時代の次の古墳時代よ。古墳時代の最大の特徴は、大王(おおきみ)や豪族たちが自分の墓として古墳を作ったことね。この古墳を作たってことの意味・・・わかるかしら?

 うにゅぅ。わかんにゃい。意味深だなぁ。

 ふふふ。つまり、3世紀後半から巨大な権力が現れたってことよ。
古墳めちゃめちゃでかいからね。たくさんの人手がいるわけ。
しかも古墳は大王や豪族のでっかいお墓のことだもの。
それだけの人を従わせたっていう、自分の権力をアピールすることができたのよ。
じゃぁ、でっかい権力って何かって言うと・・・それが、大和(やまと)国家なの。
大きな古墳は大和地方つまり、今の奈良に集まっているからね。

 ほほう。・・・って邪馬台国はどうしたんじゃい!

 う!! 実はね。邪馬台国が大和国家になったんじゃないかって説もあるし。
全然違う国のことだっていう説もあるし。そこらへんは分からないの。
大和国家は3世紀後半にできたわ。そのままどんどん力を伸ばして、5世紀頃には九州から東北の南のほうまでを支配下においたのよ。

 すご〜い!日本のほとんどだ〜。

 でしょ。で、古墳の話に戻るけど、古墳の周囲には埴輪がならべられて、墓には玉や鏡や剣などを副葬品として納めたのよ。埴輪って何ってことなんだけどね。
実はこの時代、大王や豪族が死んだ時には一緒に奴隷を生き埋めにしたりしてたのよ。
でも、土の中でなかなか死ねなくて泣き声が聞こえてくるとか。
それが哀れだと大王が言ったことから、人間のかわりに人間の形をした埴輪を埋めるようになったと「日本書紀」には書かれているわ。
本当のところは分からないけれどね。
剣を一緒に入れたっていうのは・・・。剣は戦う時に使うでしょ。大和国家ってゆーのは、宗教的な支配者というより、武力による支配者に近かったからじゃないかしら?

 大和国家かぁ。ま、人間よりは埴輪を埋めたほうがずっといいわな。

 そうね〜。ちなみに、さっきから言ってるけど大和国家の王様は大王(おおきみ)と呼ばれ、大和国家の政府は大和朝廷と呼ばれたのよ。
じゃぁ、なんで「朝廷」というでしょ〜か!
えー。なんで朝廷か??なんでだろう・・・。政府が朝廷・・・。皆が朝集まったの?

 う〜んと、微妙だなぁ、○にしちゃえ!

 実は、朝、政治をしたからよ。夜は占いをしていたの。
政治には呪術的なことも関わっていてね。占いでどんな政治をするか決めることもあったの。
占いは夜な夜なやるもの。だから、朝政治をしていたの。

 なんで占いなんかに頼るんだよ。軟弱ぅ!

 稲作って天候に左右されるでしょ?天候なんて、今は天気予報もあるし、天気が変わる理由も分かるけど、昔はそんなこと知らないもの。嵐がきたら神様が怒ってるのかな?とかね。目に見えないことへの恐怖は、目に見えないものを信じないことにはどうしようもないってことよ。だから占いっていうのは、これからずーっと人々は頼っていくことになるわ。
ただ、古墳はだんだんと小さくなっていくのよ。
争いが絶えないうちは権力をアピールする必要があるけど、いったん秩序だったしくみがつくられ、統一国家がつくられたら、王の権威を示す古墳は必要なくなっていったと考えられているの。そんなの作らなくたって、皆は自分たちが強いことを知っているんだもの。

 縄文時代には平等だったのに。弥生から古墳時代になって、全然平等じゃなくなっちゃったんだね。

 うん。だからこそ、古墳という規模の大きなものが作れたのね。
大和国家は大きくなっていくにつれて豪族たちを「氏姓制度」という組織に組み込んだわ。
血統を示す氏(うじ)と、身分を示す姓(はがね)をもらうことで、豪族たちは自分の支配者としての地位を子供にも受け継がせていったのよ。
日本が古墳を作っていたこの時代、お隣さんは何をやっていたのか。
まず、中国は分裂ね。
日本が弥生時代終わりごろに、中国では三国に分かれていた三国時代だったけれど、晋が全国を統一したの。晋の時代に日本は古墳時代となった。
でも、北方民族に攻め込まれて、南北に分かれた南北朝時代になったものの、南北の王朝も次々と交替していったの。もう混乱状態ね。ひっちゃかめっちゃか。
日本は変わらずずっと古墳時代よ。

 日本が古墳時代やってる間は、中国はえらいことになってたんだな〜。三国に分かれてたのが晋になったってのに、またすぐに南北に分かれるのかよ。

 そう。で、実は中国は今の朝鮮がある場所を支配してたのね。
でも、そのひっちゃかめっちゃかの内部分裂で支配する力が弱くなったの。
そして、朝鮮半島では4世紀ごろ、3つの国が台頭したわ。
高句麗と新羅と百済ね。
お互いに勢力争いをしていたの。
そこで、百済は大和王権と同盟して、高句麗と新羅に対抗しようと考えたわけ。
日本はもっと鉄が欲しかったから、鉄を求めて朝鮮とも交渉があった。
そこで、日本は百済と結び、高句麗と新羅と戦ったのよ。
もちろん古墳時代ね。このことは「好太王碑」に書かれているのよ。

 日本は鉄が欲しいために戦ったの? なんか、自己中〜。

 日本は朝鮮に何度も侵出してるのよね〜。これからの歴史でも、何度もそういうことがあるわ。
それで、百済と結んで一緒に戦うためにどうしたかっていうと、大和王権は、加羅(任那=みまな)という地方に勢力をのばしたの。日本の勢力下に入った地域を任那と呼んだのよ。
この朝鮮半島への進出によって、大和国家は大陸のすすんだ文化を取り入れることができたわ。何でそんなことが分かるかっていうと、古墳から、朝鮮伝来の馬具や武具が大量に出土したからよ。

 鉄を狙って朝鮮に口出して、んでもって文化も取り入れたのかぁ。
う〜ん。でも、いけないことだよなぁ。

 そうね。朝鮮の南からは鉄が出てくるからね。よけいに進出したかったのね、きっと。鉄は、農業にも土木工事にも役立つもの。
こういった中で、大和王権は、朝鮮や中国は進んだ技術や文化を持っていると自覚したのよ。
だから、日本に移住してくる渡来人をたくさん迎えいれたの。

 中国のが進んでるよねぇ。日本はきっと、縄文時代が長すぎたんだよ。

 そうかもしれないわね〜。それでね、日本に移住する渡来人を迎え入れたことで、538年には、仏教が伝わったのよ。「ご参拝(538)だ仏教伝来」ってね。
この影響で、古墳時代の次にくる飛鳥時代では仏教の文化が栄えるわ。この流れを覚えようね。 ちなみに、覚えなくてもいいけど、加羅は結局新羅に滅ぼされちゃいました。
朝鮮がその後どうなったかは、高校でたぶん、みっちりやることになるよ。

 仏教って、確かインダス文明のところでやったよな?ここまで来たのかよ。

 そうよ〜。とうとう日本まで伝わってきたの。
 渡来人は他にも、弥生土器よりもかたい土器である須恵器(すえき)の技術や、漢字や儒教や仏像や経典も伝えたわ。
 日本はこの渡来人のお陰で、技術や文化がとーっても高まったのよ。
 じゃぁ、ここまでまとめるわね。


 A古墳時代(3世紀後半〜6世紀)
  古墳文化。
  大王や豪族たちは古墳を作る
   ・・・周囲に埴輪。墓の中には玉・鏡・剣などが副葬品として納められる。
 大和国家(大和地方。今の奈良あたり。古墳多い)
  →5世紀頃には九州から東北の南のほうまでを支配下におく。
  氏姓制度。
  朝鮮半島との交流(4世紀ごろ〜7世紀まで争い)
   ・・・加羅(任那)に進出。百済と結び、高句麗・新羅と戦う(「好太王碑」より)
    → 渡来人が進んだ文化・技術を伝える。
       538年 仏教が伝わる
       562年 加羅が新羅に滅ぼされる。
       儒教も伝わる。 

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