+ 実 +

   
 その小屋は、森の奥深いところにあった。
 どこにも目印なんかなく、なぜ彼女が迷わないのか不思議だった。
 彼女に聞いてみたら、「みんな、優しいから」と微笑んでいるだけで、僕にはさっぱり分からなかったけど。
 それ以上、聞きたいという気分にもならなかった。
 彼女はとても不思議な人で、僕が話しかけなければ何も話さなかった。

 僕は今、きっと、もっと落ち込まなければならないんだと思う。
 もっと、罪悪感に苛まれなければならないんだと思う。

 人を、殺した。

 その罪を、感じなくてはならないんだと思う。

 でも、僕の頭上には、いつもと変わらない星が瞬いているだけだった。
 僕は相変わらず息をしていて。
 僕という人間は、昨日と同じように生きている。
 
「僕は、罪を犯したんです」

 顔を見るのが恐くて、僕は前を見ながら一人言のように呟いた。

「そう」

 彼女は、僕の隣で頷くだけだった。

 小屋の前で、僕らは石の上に並んで座っている。
 この世で生きているのはニ人だけのように感じられた。

「僕は、人を殺したんです」

 僕の喉が、ゴクっと鳴った。

「そう」

 彼女は、同じように頷くだけだった。

 二人の間に、また沈黙が訪れた。

 周りには鬱蒼と茂る森。
 ツンとした冷たい空気の中、静まりかえった木々。
 闇の中から顔を出す月は、僕の心を見透かしているようだ。

「なぜですか」

 僕は、訳もなく彼女を責めていた。

「なぜ、何も言わないんですか」

 無意識のうちに、語調が強くなる。

「僕は人を殺したんですよ? 僕が……実を渡したんだ」
 
 苦痛に歪んだ顔。苦しそうなうめき声。剥き出しになった目。
 止まらない吐血。受け止める手と床。
 僕を、信じられないように見る、あの、瞳……。

「僕が渡さなければ死ななかったんだ」

 僕の手によって生み出された記憶。

「僕は、償えない罪を犯したんだ。なぜ、何も言わないんですか」

 許せない。
 
 僕の気持ちは、そう変わっていた。
 理由なんて分からなかった。
 ただ、何も言わない彼女のことが許せなかった。

「僕は、許されない罪を犯したんだ」

「あなたは……」

 ようやく彼女が話しだした。
 僕はどこか期待しながら、次の言葉を待った。

「裁かれたいのね」

 すぐには意味が分からなかった。
 ただ、欲しかった言葉とは違っていて、悲しかった。

「もし私があなたを責めたら、あなたはどうなるのかしら」

「責めるのが、当然じゃないですか。だって僕は……」

「私は、人を愛しているわ」

 僕が言い終わる前に、彼女は続けた。

「あなたが少しでも楽になれるように、責めてあげたい気持ちもあるわ」

 責めてあげたい……?

「でも、それはよくないことだということも、分かってる」

 僕は、責めてほしいのか……?

 違う。そんなことは大事なことじゃないんだ。
 僕は、人を殺した。
 それは、どうしょうもない事実なんだ。
 僕は、許されないことをした。
 だから、本当は生きていちゃいけないんだ。
 いけないことをしたんだよ。

「僕を刺激しちゃいけないと思っているのか? 僕を刺激したら、自分も殺されるかもって思ってるのか?」

 そんな顔はしていない。それは、十分承知していた。
 ただ、彼女の気持ちが分からなかった。

「あなたはまだ、罪を自覚してはいないわ。受け入れる器もない。でも、純粋で優しい心は持っている」

 分析をしてほしいわけじゃない。

「人の力を借りないで、自分で乗り越えなさい」

 なぜか、突き放されたような気がした。
 こわい。
 今更、そんな感情が湧きあがる。

 僕は一人だ。

 そう、強く感じた。

 人は結局、一人なんだ。

「私はあなたを責める気もないし、責める心も持ってはいない。あなたの期待には、応えられないわ」

 僕は、力なくうなだれた。
 突然、大海原に投げ出されたような心地がした。
 希望が失われたような気分になった。
 希望なんて、あるはずなかったのに。
 僕の心は、死んでいくようだった。

「もう冷えてきたし、中に入りましょう」

 かすかに僕は頷く。
 でも、部屋に入る気は湧いてこなかった。

「ドアは開けておくわ」

 彼女はそっと立ち上がると、静かにそこを去った。

 小屋の中に、小さな灯りがともる。
 僕はしばらくの間、空を見つめていた。
 でも、しばらく経って、何も解決できないと知り、
 迷った末、僕も小屋の中に入った。

 キィ、と小さな音とともに、ドアを閉じる。
 その音だけが、現実味を帯びていた。
 どこからか、ほんのりと灯りがともっている。
 奥の方には小さな台所が見えた。
 生活の匂い。
 少しだけ、生きている心地がした。
 彼女の姿は、見当たらない。
 僕は、入口の横に置いてあった布団にもぐりこむ。
 僕のために、分かりやすく置いてくれたのだろう。
 これ以上、彼女と話す理由もない。
 僕は目を瞑り、静かに朝を待った。
 
 いつもとは違う場所で。


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