Air

<Airの解釈と感想>

霧島佳乃〕 〔遠野美凪〕 〔神尾観鈴 〕 〔国崎往人〕 〔全体


・ 神尾観鈴 1 ・



いっつも笑顔の明るい観鈴。
でも彼女には友達がいません。
誰かと友達になれそうになると、癇癪を起こすのです。
一緒に住んでいる叔母である晴子とも距離を置いています。
自分は晴子にとって迷惑だった。けれど押し付けられた。
そう思っているからです。
「わたし、本当に邪魔者だから・・・」
なんて悲しい言葉でしょう。
観鈴はずっとこの歳になるまで、自分は邪魔だと思いながら生きてきたのです。
それでも「にはは」と笑い続ける観鈴に、切なくなります。
観鈴が学校で癇癪を起こし晴子が呼ばれた時も、晴子は「仕事が1つふいになったわ〜」と文句を言います。
観鈴の前でこういった言葉をこれまでもずっと繰り返してきたのでしょう。
自分が迷惑をかけ続けていると、そりゃぁ思ってしまいます。
晴子に対して、ドリーム編ではとっても腹を立ててました。
観鈴は人に迷惑をかけないように、たった1人で遊びます。
トランプやジュースがいい例です。

1人でずっと生きてきた観鈴。
きっとそれは強いことではあったけれど、子供のままということでもあるんじゃないかなっと思います。
「少女はいつでもひとりきりで、大人になれずに消えてゆく」
という往人の母の言葉には精神的な意味もあるんじゃないかなっと思います。
観鈴は、始めに往人が嫌そうにしていても全くそれに気づきません。
癇癪を起こしても、周りの人は自分を嫌いになってるに違いないと思いこみます。
なので、往人の前で癇癪を起こした時も、往人を避けてしまいます。
観鈴が1人ぼっちなのは、観鈴自身にも問題があると言えるでしょう。
観鈴の相手の心を察することができずに思い込んでしまう性格は、1000年の間に転生してきたどの少女も同じだったのではないでしょうか。
それは、神奈が翼人であるがゆえに、親しく話せる相手がいなかったことに似ています。
神奈と同じような思いを味わうために、あらかじめ決められた性格なのかもしれません。
少し極端かもしれませんが、あらかじめあった何かが他人を拒否するということは共通すると思います。

そんな観鈴が友達をこの夏こそはつくろう!と思います。
そして往人と会います。
不思議な引力って感じです。
きっと人形が引き合わせてくれたのでしょう。
あれから1000年目の夏です。
神奈と柳也があった時と似ていますね。
今まで1人ぼっちだった観鈴に、往人が現れるのです。

観鈴は夏休みが始まってから自分が空にいる夢を見続けています。
その夢は時間をさかのぼっています。
夢の中の自分は悲しんでいます。
往人が「夢の中のお前には翼はあるか」と聞きます。
これをきっかけに、観鈴はとても早い速度で記憶を受け取っていきました。
きっと、観鈴は、往人の言葉で「自分は空の少女である」と確信したのではないでしょうか。
そして、夢を見ようと前よりも強く思うことで、夢の中でたくさんの記憶を知り、どんどん病んでいったのだと思います。

その夢が、女の子を蝕んでいくの
最初はだんだん身体が動かなくなる
それから、あるはずのない痛みを感じるようになる
そして・・・
女の子は全てを忘れていく
いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる
そして最後の夢を見終わった後に
女の子は死んでしまうの
友達が近づくだけで、その子は苦しがる
だからその子は、ずっとひとりぼっち
二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう
二人とも助からない
だから、その子は言ってくれたの
わたしから離れてって

という往人の母の言った通りのことが起こっていきます。
ただ、結果は母とは違いました。
自分のせいで往人まで病んでいることを察しているにも関わらず、観鈴は側にいたいと言っているのです。
きっと今までの往人の先祖たちは、離れてと言われたのではないでしょうか。
往人の母の言葉で「わたしのお母さんも、お母さんのお母さんも、ずっとそうだった」という言葉があります。
男女であるがゆえに、結果が変わったのではないかな、と思います。
お互いが病もうと、側にいたい。それは恋愛ならではかと☆
家族もだと思いますが、事情を知るのは往人の一族しかいませんしね。

しかし、往人のほうから離れてしまいます。
でも、また戻ってきます。
やはり側にいたい。そう思うからです。
お互い病んでも側にいたいと思う。これは神奈の悲しい記憶からの1つの解放でしょう。
また、この時往人は、観鈴を救うことを考えていないです。
ただ、観鈴の側にいて笑わせたいと思っているだけです。
ここが、1000年の間続いてきた往人の先祖さんたちと違うところだと思うのです。

往人は最初、観鈴を救いたいと思いました。
往人が観鈴を救いたいと思っていた理由は、観鈴が苦しんでいるからでした。
つまり観鈴が苦しんでしまうせいで、往人が病むのです。
神奈と柳也も同じです。往人までの先祖さんたちも皆そうだったでしょう。
そして往人は去りましたが戻ってきました。
そこで、往人が観鈴の側にいたいと思った理由は、往人が観鈴を好きだからです。
つまり往人が観鈴を好きなので往人が病むのです。
「苦しんでるから救いたい」ではなく「好きだから側にいたい」なのです。
そこに観鈴の責任はありません。
きっと、観鈴も、神奈も、自分のせいで大好きな人が苦しむのはやっぱり嫌なはずです。
結果的に苦しむとしても、その原因は観鈴ではなく往人に移ったのです。
往人が、誰のせいでもなく自分の責任で自分の幸せを追求して戻ってきたからこそ、観鈴の死ぬ時期を延ばすことができたのだと思います。
「星の記憶を担う最後の子には…どうか幸せな記憶を。」
「その時こそ…私たちはその役目を終え、安らかな眠りにつくことができるでしょう。」
という言葉の通り、幸せな記憶がないと翼人は救われないのでしょう。
大好きな人が翼人のためでなく己の幸せを追求してほしいというのが最大の願いだったのだと思います。
1人ぼっちじゃ嫌というのは、柳也の子孫によって誰もが叶えられていたはずですから。
叶えられて、相手も病んでしまって離れたから悲しかったのです。

だから私はどのヒロイン相手でも空の少女は救われていたと思います。
往人までの間ずっと子々孫々、空の少女にとらわれていました。
救おう、救おう、と。姿の見えない空の少女を皆探したわけですから。
でも、佳乃編ではその呪縛から解き放たれ、自分の責任で自分の幸せを追求しました。
神奈は自分のせいで柳也たちが死んでしまう記憶を見せられたので、悲しんでいるのです。
その子孫が幸せであると知れば、幸せな記憶となると思うのです。
「…ニンゲンはね…思い出がないと生きていけないんだよ」
「…でもね…それなのに、思い出だけでは生きていけない」
「…夢はいつかは覚めないといけない」
「覚めることをわすれた夢は…それがどんなにしあわせな夢であったとしても…」
「いつかは悲しみにかわってしまうから」
というみちるの言葉通り、神奈も夢から覚めないと、柳也との幸せな思い出さえも悲しみであり続けるのです。

夢から覚めることさえできれば、未来である往人の幸せを知ることさえできれば、幸せな記憶となるのです。
ちょうどよく佳乃編では神奈の羽根がありました。
人には記憶を空にやることはできないけれど、神奈の羽根によって、往人の記憶も空に届いたのだと思います。
そして、往人が自分のせいで苦しんでいないことを知ることができたのではないでしょうか。
なので結果的に空の少女は救われていたのだと思います。

これは美凪編でも同じです。
往人はあまり人形を動かさなくなりましたし、自分の幸せの場所も見つけました。
空の少女を探しに旅へ出るのも、みちるとの約束を果たすためになり、最終的に美凪の元へ帰るためです。
自分の幸せに辿りつくために空の少女を探すわけで、今まで代々伝えられてきた呪縛からは解き放たれているのです。
往人の力は、幸せへの過程として往人自身がまだ必要としているから残っているだけだと思います。
みちるも羽根から産まれたので、往人のことも空に記憶として届けたでしょう。
そして、往人が自分のせいで苦しんでいないことを知り、空の少女は救われたのではないでしょうか。

ドリーム編の観鈴編ではどうして完全に救われなかったのかと言えば、羽根がなかったからでしょう。
往人がどんなに幸せ追求に走っても、羽根がなければ空にはその記憶は届きません。
エア編では、往人の転生である「そら」には羽根がありますし、柳也の子孫の転生でしたし、きっと「そら」によってその幸せな記憶は届いたと思うんです。
この話は後ほど・・・。

ドリーム編の観鈴編では、神奈や、これまでの転生たちの「自分のせいで大好きな人を苦しませた」という思いから解放されたという意味があったのだと思います。
そして、サマー編・エア編と続けていくことで、完全に呪いから解き放たれることができたということでしょう。

こうつらつらと書いてきて、空の少女・観鈴・神奈の3つの名前が混乱しているように書かれていると思いますが。
ちょこっと説明したいと思います。
神奈の呪いは早くて100年かなんかで解けるとあります。
つまり空にはもう神奈はいません。
ただ、神奈の記憶は、転生しても夢として入っていきます。
つまり、神奈を救うというのは神奈の記憶を救うということ。
空の少女とは神奈ではなく、神奈とその転生した女の子たちの記憶のことです。
空に記憶が漂ってるみたいな感じで想像しちゃっていいと思います。
記憶は翼に宿るので翼が記憶という形で空にあるって感じでしょうか。
転生する子は皆女の子なので、それを「空の少女」としているのです。

なんだか「記憶」ってAirのポイントの1つですよね。
ちょっと記憶について考えさせられます。
記憶にあれば、事実に。記憶になければ、事実も事実でなくなっちゃったりしますからね〜。
「記憶にございません」
ってな感じで。
ちゃんと紙に書いておけばいいんですけど。
でも紙も年月とともになくなったりしますしね。翼人伝のように。
書き換えられたもしますし。
そう思うと、この世も夢みたいな気がします。
自分にとっては長い夢を見て、年月とともに人々から忘れられる・・・。
夢ん中に面白いキャラが出てきても、起きたら忘れちゃったりしますしね(違う話になってる)

ほとんど解釈!だったので、もう少し感想を。
「笑ってくれる誰かが側にいればよかった。この手で笑わせてあげたいと思う存在」
という言葉にキュン☆ときました。
「ずっと探していたものとは、そんなありふれたものだったんだ」
という言葉に、ほわん☆としました。
幸せって身近にあっても、なかなか気づかないものだよなぁって。
そーゆうありふれたものを大切にしていきたいなぁって。
「Air」って失ってしまうものがかなり多いと思うんです。
大切な人、大切な記憶、大切な目的など。
でも、日常生活でも、当たり前のように通り過ぎて大切なものを失っていることって多いと思います。
なんだか、その当たり前をあったかい気持ちで見直してみなきゃなぁって感じました。


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